経営・組織論に根付く「軍事的世界観」は本当に悪なのか?その"功"と"罪"を改めて考察する|安斎勇樹
現場が主体的に問題発見と課題設定をしながら創造的なアイデアを提案し、経営はそのフィードバックを踏まえて事業構造やロードマップを帰納的に修正し続ける必要がある。これは、勝利条件と戦略から演繹的に行動をコントロールする軍事的世界観に相反する考え方といえます。
現代に生きる私たちが、軍事的世界観から脱却しなければならないもう1つの理由は、人の多様性が生み出す価値が阻害されてしまうからです。
休まず従順に組織に仕える代わりに、着実なレベルアップや退職金が保証されるという軍事的世界観のキャリア観は、組織のルールに適応した人にはキャリアの安定性をもたらしました。
しかしそれは裏を返せば、組織のルールに適応できない人を排除するということでもありました。たとえば、妊娠・出産する女性は、キャリア形成上男性に比べて明らかに不利になりますし、また営業のような数字が見えやすい部署の人は評価がされやすい一方で、間接的に組織に貢献している人が評価されづらいということもあるでしょう。
しかし企業は本来、多様な人がコラボレーションすることで、価値を生み出すものです。数字をつくる人、戦略やアイデアを考える人、他のメンバーが働きやすいようにサポートを行う人、マネジメントを行う人……という具合に、企業には多様な貢献や活躍の仕方があるわけですが、軍事的世界観に基づく画一的な評価基準は、そうした人間のダイバーシティが持つ可能性を阻害し、コラボレーションの芽を摘んでしまいます。
また、個人の価値観も非常に多様化しています。仕事にフルコミットしたい人もいれば、ワークライフバランスや家族との時間を大事にしたり、地域活動に貢献したい人もいる。仕事に対するモチベーションの源泉も、人によってさまざまです。
そうした時代において、多様性を認めず個人の自己実現を軽視する企業は、そもそも人材を確保できなくなっていきます。優秀な人材を惹きつけ、多様性から価値を生み出すために、企業は一人ひとりの価値観や自己実現欲求にきちんと向き合い、その実現を支援する必要があるのです。
最後に念を押しておきたいのですが、私は「軍事的な方法論」のすべてを真っ向から否定しているわけでは決してありません。たとえば、戦略的思考のフレームワークや顧客を惹きつけるマーケティングの方法論など、どうしても短期的な成果創出が求められるシーンでは、依然として軍事的な手法は、冒険の道具として役立つでしょう。
組織の根底にある価値基準・OSとしての「世界観」は冒険的なものに移行しながらも、アプリケーションとしての軍事的な方法論は、道具として賢く使う。これが私の考えです。
逆にいえば、OSが軍事的なまま、"冒険風"のアプリケーションだけ導入しても、うまく機能しません。
たとえば、「いまの流行りだから」と「1on1」を導入した結果、上司が部下に一方的にダメ出しをする場になってしまい、両者の関係性がかえって悪くなってしまったとか。
あるいはたとえば、より良い職場を目指して「心理的安全性」の研修を実施した結果、若手メンバーが「すべてはアイツ(リーダー)の言動のせいだったのか」とマネージャーの言動を批判的に捉えるようになり、いわば"心理的安全性警察"が蔓延して、かえって職場の心理的安全性が下がってしまった、みたいなことが起きうるのです。